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パルテノン多摩 歴史ミュージアム

企画展 鍛冶屋のあゆんだ 幕末・明治 ―「乞田鍛冶」から「ひょうたん鍛冶」へ―

幕末の貝取村瓜生(多摩市貝取)に、「乞田鍛冶」と呼ばれる刀鍛冶がいたのをご存じでしょうか?
「乞田鍛冶」と呼ばれた浜田吉之・正之兄弟は、麥花塚をつくった浜田麥花(助左衛門[一重])の息子で、新選組隊士の刀や三多摩壮士の杖刀を作ったとも言われています。吉之は、上野聖護院宮から法眼の称号を慶応3年に得ています。
江戸幕府が崩壊し、明治の世になると、吉之(文蔵)は野鍛冶として町田に店を構えます。町田では、多くの弟子をかかえ、ひょうたん印を特徴とする腕の良い「ひょうたん鍛冶」集団として活躍しました。ひょうたん鍛冶の農具は、多摩市域から相模原付近まで広まり、多くの人々に愛用されました。
幕末から明治の変化とともに、刀鍛冶から野鍛冶に姿を変えた「乞田鍛冶」のあゆみからは、時代の変化に応じて生き抜いた鍛冶屋の知恵とともに、鍛冶に対する地域のニーズの変遷をうかがい知ることができます。本展示では、乞田鍛冶の歩みを通して、地域に欠かせなかった鍛冶屋の重要性を明らかにします。


開催日
2009年03月20日 (金) ※祝日 〜2009年07月06日 (月)
時間
10:00〜18:00 
※ただし、4/21-22、5/19-20、6/16-17は休館 
場所
歴史ミュージアム 企画展コーナー
料金
入場無料
主催
主催:
財団法人多摩市文化振興財団


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「鍛冶久」の人々/個人蔵

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麥花塚

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鍛冶職吉之を法眼に叙した古文書/個人蔵

内 容※構成・展示資料は変更される可能性があります。

1.鍛冶屋の痕跡
多摩市やその周辺には、鍛冶屋が存在しました。また、市域には鍛冶に関する地名や石造物が残されています。農業に欠かせなかった鍛冶屋のあり方を、概観します。


2.江戸時代の刀鍛冶〜「乞田鍛冶」の姿を探る〜
貝取村の鍛冶・浜田吉之(文蔵)・正之は「乞田鍛冶」と呼ばれ、新選組の刀や槍、三多摩壮士の刀剣などを打ったと言われています。父の助左衛門は和歌にもすぐれ、富澤家などの名主層との交流を持ち、「麥花塚」をつくった人物です。吉之が打った刀は現存しており、法眼・法橋に叙された文書も残されています。ここでは、「刀鍛冶」であった時代の乞田鍛冶について追ってみます。


3.刀鍛冶から野鍛冶へ〜乞田鍛冶からひょうたん鍛冶への変遷〜
明治の世になると、乞田鍛冶は、町田に出て野鍛冶となります。腕が良く、広い地域で愛用された「ひょうたん鍛冶」の製作物とはどのようなものだったのでしょう。また、ひょうたん鍛冶集団は、どのような歩みをたどったのでしょうか。ここでは、「ひょうたん鍛冶」の農具とその歩みを探ります。

4.その後の鍛冶屋
ひょうたん鍛冶のその後や、多摩市周辺の鍛冶屋の消長をたどります。


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